「大塩平八郎」(森鴎外)

大塩平八郎像を大きく転換させた作品

「大塩平八郎」(森鴎外)
(「森鴎外全集5」)ちくま文庫

策の施すべきものが無い。
しかし理を以て推せば、
これが人世必然の勢だとして
旁看するか、
町奉行以下諸役人や市中の富豪に
進んで救済の法を講ぜさせるか、
諸役人を誅し富豪を脅して
その私蓄を散ずるかの
三つより外あるまい…。

森鴎外の歴史ものの一つである
この中編小説は、
大正期まで単なる謀反人としてしか
扱われていなかった
大塩平八郎の見方を、
大きく転換させた作品です。
大塩が私利私欲などではなく、
民衆の困窮ぶりを見かね、
やむにやまれる判断として
武力蜂起に至った経緯が
よく分かります。
特に粗筋として上に掲げた
一文が載っている「五 門出」の章は
読み応えがあります。

かつて飢饉が起きたときには、
大坂町奉行組与力として、
上司である奉行・高井山城主実徳からの
知遇を得て、
できるだけのことはできた。
しかし、今回の飢饉では、
後任の東町奉行・跡部が瀑布へ忖度し、
大坂から江戸へ
強制的に米を搬送した上、
豪商たちが買い占めに走り、
米価が急騰した。
加えて大坂の米を
京都に送ることも拒み、
京都から米を買いに来る民衆をも捕縛し、
弾圧を強めたのは論外である。
もはや傍観するか、
救護策を役人に講じさせるか、
蜂起するかの選択肢しかない。
大塩の思いは
このように表現されているのです。

作者・鴎外は、
大塩の悲劇的な生き方を
ことさらに感動的に
脚色するようなことはしていません。
事実を中心に淡々とした筆致で綴り、
大塩側だけでなく、
事前に密告した同心や
奉行所側の事実も列記し、
公正な視点から描いているのです。
だからこそ、大塩側に理があることが
十分に伝わってくるのです。

さて、本作品の発表は大正3年。
その2年後の大正5年まで、
鴎外は陸軍軍医の職に就いていました。
つまり、鴎外は
れっきとした権力側の人間なのです。
それでいて公権力に楯突き、
悪役として見なされていた大塩に
光を当てたのは、
鴎外もまた公権力という存在に対して
疑念を持っていたからに
違いありません。

そうした鴎外の姿勢は、
後に発表される「最後の一句」の
「お上の事には
間違はございますまいから」、
「高瀬舟」の
「オオトリテエに従う外ないと云う
念が生じた」にも現れています。

事実関係を正確に記したあまり、
膨大な量の人物名が登場し、
主要人物を把握するのにも苦労します。
決して読みやすい
作品ではないのですが、
一読の価値ある
鴎外のあまり知られていない逸品です。

(2019.4.17)

【青空文庫】
「大塩平八郎」(森鴎外)

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